見過ごされていた象形文字が、ファラオの石棺の発見につながる

エジプトのアビドスにあるコプト教の建物の下で発見された彫刻が施された石板は、側面の象形文字を分析した考古学者チームによると、ラムセス2世の石棺の一部だという。
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ラムセス2世は紀元前1279年から紀元前1212年まで統治した古代エジプトのファラオである。エジプト博物館によれば、彼は90歳以上まで生き、約100人の子供をもうけた可能性がある。
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花崗岩の石棺の破片は2009年に発見されたが、長年、新王国時代の高官のものとしか考えられていなかった。今回、考古学者らは石棺に刻まれた古代エジプトの象形文字を再度調べたところ、「ラムセス2世自身の」と訳されるカルトゥーシュを発見した。これは、石棺がかつて統治者の棺の一部であったことを示している。研究チームの研究は、 Revue d'Égyptologie誌に掲載された。

フランス国立科学研究センターが先週発表した発表によると、石棺には2人の異なる人物が詰められていたが、これまで判明していたのは1人だけだった。ラムセス2世の200年後、紀元前1000年頃に生きた高僧メンケペルレ(メンケペルレはファラオのトトメス3世の王位名でもあり、そのミイラは国立エジプト文明博物館の王家のミイラ展示室に展示されている)。石棺に最近刻まれたカルトゥーシュの特定から、もう1人の棺の主もかつてこの有名なファラオだったことがうかがえる。
ラムセスのミイラは、埋葬後略奪を防ぐために何度も移動され、最終的には1881年に父であるファラオ、セティ1世の遺体を含む他の遺体とともにデイル・エル・バハリンで発見された。オーストラリア博物館によると、ラムセスのミイラは彫刻が施された杉の棺の中で発見されたが、この棺はもともとファラオを納めるために設計されたものではなかったという。
ラムセス 2 世のミイラは、何度か移動されたにもかかわらず、良好な状態で保存されています。ミイラが最初に石棺から分離した経緯は明らかではありませんが、重要なのは、ミイラが現在まで生き延びたということです。あとは、アレクサンダー大王とクレオパトラを見つけてくれる人を探すだけです。リストは続きますが、ラムセス 2 世と彼の石棺は、過去を明らかにするには、時には少しの忍耐力が必要なだけであることを示しています。
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