ピーター・ウィアーのアドバイスがなければ、ジョージ・ミラーはフュリオサを作らなかっただろう

ジョージ・ミラーがウェイストランドに戻るには、なんとも素晴らしい日だ。『フュリオサ』 は、そう遠くない未来に人類の残骸が腐りきった世界を訪れる5回目の作品で、アクション映画製作を一貫して再定義してきたこのアクション映画監督は、これまで以上に万全の状態で『マッドマックス』の世界に戻ってくる。『フュリオサ』の前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の製作が難航したことで悪名高かったミラーは、壮大な大作でスピードを上げて戻ってくる。この壮大な大作を見逃す手はない。
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だからといって、簡単だったわけではない。「『フューリー・ロード』は製作が難しい映画だった」とミラー監督は今夜の『フュリオサ』上映会で語った。「スタジオとの関係は悪く、トムとシャーリーズは喧嘩ばかりしていた。よく知られていることだが。それが映画製作の妨げにはならなかったが、対処しなければならない困難はあった。どの映画でも起こることだ。どこから来るか分からない」
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しかし、それはこの種の作品を4本監督した後の話だ。1979年に最初の『マッドマックス』を終えた時、ミラーは拡声器と厚手の監督パンツを永久に脱ぐ覚悟ができていた。「最初の『マッドマックス』を作った時、私はそれまで一度もセットに入ったことがなかった。予算もとても少なかった。映画は成功したが、もう二度と映画は作れないだろうと本気で思った。あまりにも当惑した」
『マッドマックス2』の撮影に取り掛かり、医師に戻るのではなく監督を続けると決める前に、ミラーはオーストラリア人の映画監督ピーター・ウィアー と話した。ウィアーはすでに、マッドマックスの原型ともいえるデモリション・ダービー『パリを食べた車 』と、幻覚の驚異『ハンギング・ロックのピクニック』 という2つの傑作を制作していた。彼より良いアドバイスができる人がいるだろうか?
「ちょうど2作目か3作目の長編映画を撮ったばかりのピーター・ウィアーと話して、それがいかに大変だったかを説明したのを覚えています。彼は『ジョージ、気付いてないの?どの映画もそんな感じなんだ』と言いました。」
「ベトナム戦争が終結した頃でした。彼はこう言いました。『ベトナムでパトロール中だと考えてみろ。切り抜けなければならない。小隊がある。任務がある。しかし、どこに狙撃兵がいるかは分からないし、地雷がどこにあるのかも分からない。何が起こるか分からない。しかし、流れに身を任せて最終結果を出せるだけの機敏さが必要だ』。その言葉は私の心に残りました。今でも忘れられません。」
『フュリオサ』でミラーは口論ばかりする共演者や自分を信用しないスタジオと戦っていたわけではない。その代わりに、彼の戦いは、映画が私たち全員を滅ぼすと予言している自然の力、つまり異常気象とパンデミックと戦っていた。「この映画で、本当に苦労したのは悪天候とCOVID-19でした。」
それでも、彼の「軍隊」訓練は役に立った。砂漠では定期的に雨が降るが、ミラーはマックスの映画をすでに4本製作していたので、準備ができていた。「私たちは大きなテントを持って旅をしていたから、いつもロケ地で撮影していたにもかかわらず、この巨大なテントの中で内部を撮影するというバックアッププランを常に持っていた。だから、照明もすべてそこにあった。そして、私たちは撮影を続けた。」
『フュリオサ』は5月24日より全国公開されます。